いま、第107回全国高等学校野球選手権大会の準決勝、日大三高VS県立岐阜商業高校をみながら、書いています。どちらも応援していますが、なぜか岐阜商に点が入ると、声とか涙とかがでます。
岐阜商の7番横山君は、生まれつき左の手指が欠損しているのですが、甲子園の準決勝にくるチームのレギュラーで、かつ、大活躍している選手です。なぜ、こんなバッティングができるのかな、、、と大会前から注目してきました。ずっと見てきた結果「打球を飛ばすための最適な動きをするために、左手が邪魔してない」という観点があるのかな、とおもいました。身体運動学勉強してきたとはいえ、たった2年で、投球履歴がテーマだったので、バッティングの動作はそれほど詳しくないので、自信がありません。しかし、知りたい!!ということで、めっちゃ検索してみたり、AIに聞いてみたりしましたが、身体運動学の専門家の分析などが収拾できず。。。
しかし!私の見立てがあってるかも!と思わせてくれる言葉がナンバーウェブでみつかりました(注2)。
あの、智辯和歌山監督の高嶋仁さんの言葉です。高嶋さんは、手のことは知らずに、打つ瞬間に、後ろの手(横山君なら左手)を話す打ち方で、理想的だ、とおもったそうです。そのバッティングのメリットについて、
「その方がバットがスムーズに出ることもあるんです」と語っています。
このスムースに出るというのはおそらく、右手が邪魔しない、という意味だとおもうのです。感覚的にいうと「いらないところに力が入る」という意味ですが、こういうの直すの難しいですよね!
ある動作を推進するための筋肉に対して、必ず拮抗筋というのがあり、ある動作に対してブレーキとして働きます(ざっくりいってるので、不正確な部分があるかもですが)。
右手を最後まで握ってのバッティングの場合、右手が、前に球を飛ばすための筋肉だけではなく、ブレーキをかけるほうに働くことがあるのじゃないかな、とおもいます。なぜそんな癖がついてしまうか、というと、単なる予想ですが、練習で、素振りを連続するような練習をするとしたら、素振りを連続するために、主に右手の後ろに戻す筋肉をつかって元に戻す必要があります。あまりに高速で素振りを連続すると、前にバットを出す動作をする時に、もう脳の中に、後ろに戻すイメージが混ざってしまい、そういう癖がつくんじゃないかな、、、と思いました。おそらくそういう高速でブンブンする素振り練習を幼いころから積めなかった横山選手には、そんな癖がつきようがない、というメリットがある、といえるのかな、と。
横山選手はもちろん別の形での猛練習の末、今のスキルを獲得してきましたが、そのことについて
『「人とは違うところを武器にする」と猛練習に励み』(注:1)
と語っています。もしかしたら、どこかの時点で、自分で調べて、左手の指の欠損が、自分らしいバッティングにメリットにできることを知ったのではないでしょうか?むしろ、「そうしてみせる」ときめてやってきたのでしょう。横山選手は、指がない、といわれていますが、左手の先端は少しU字のような形になっており、バットを押し出せるような形になっています。まさに、今のバッティングは自分の持てるものを最大限に生かした形になっている、自分の唯一無二の体に向き合って、このバッティングを作ってきたんだな、と思います。
横山選手について、障害、指の欠損を「ものともせず」と表現されているのを、今朝見ました。
自分の体と向き合い、活かしきって、という風に表現してほしいなあ、、、とおもいます。
ところで、この準決勝、解説には、日大三高と同じ東京の強豪校・帝京高校野球部前監督の前田さんです。前田さんといえば、私の愛する星稜高校との夏の甲子園の決勝戦、終盤のところで、おそらく星稜のバッターに合わせて、何回か外野との守備位置交代という形でピッチャー交代をした采配が印象的、というか、星稜―明徳戦の5打席連続敬遠と並んで、忘れられません。
さて今日の試合です。最初1点を先制された岐阜商でしたが、横山選手は最初の打席で、犠牲フライで同点をもぎ取りました。その時に、前田さんは「最低の仕事をしましたね」といいました。たぶんですが、最低(限)の意味だとおもいます。だとしたら、横山君に対して、もっとできるだろ、という評価だろうとおもいます。なるほどなあ、、、「ものともせず」という見方よりも、1000倍いいなと思いました。
さて、9回です!
(注:1)引用元:Number Web
https://number.bunshun.jp/articles/-/866893?page=2
(注:2)引用元:朝日新聞ウエブ版 室田賢 恒川隼2025年8月11日 12時20分https://www.asahi.com/articles/AST8C0DB0T8CUTNB001M.html