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甲子園のマウンドに上がった話


実際は、マウンドのちょっと手前でしたが。。。
夏の甲子園が始まったので、思い出話を一つ。

こちらは第83回の夏の甲子園=全国高等学校野球選手権の開会式のちょっと前の写真で、私は一番左にたってます。日本に野球を伝えたとされる「ホーレス・ウィルソン」さんの子孫のご家族を甲子園にお招きして、「顕彰式」というのが行われました。
 私がその司会兼インタビュアー兼同時通訳のご指名をいただいたのですが、いやいやいや…さすがに最初は断りました。同時通訳なんて、その場で、英語をきいて、式にふさわしい言葉に瞬時に通訳しないといけないので、めちゃくちゃ難しい仕事ですから、無理です、と。
 すると、私を指名してくださった高野連の方が「じゃあ、前日に打ち合わせして、やり取りをすべて決めておけば?前日に翻訳しておけるでしょ?」とおっしゃって、断る選択肢がなくなりました。まあ、確かにおっしゃる通りではあります。英語が得意なスポーツアナウンサーもいる中、私を信じてくれた方の期待にこたえたい、私の阪神淡路大震災の発生時のアナウンスメントも高く評価してくださって、公私にわたって大変お世話になっている方、頑張ろう!と切り替えました。
 前日の打ち合わせでは、しっかり(写真の)おじさまの話をメモして、おじさまにも「あすも、こういってくださいね、私、同時通訳者じゃないので」と念押しし、家に帰って辞書を片手に式典用の言葉に翻訳して、紙にメモして本番を迎えました。改めて、写真をご覧ください。手に持っているメモはおじさまにも見えるように手に持っているんです(英語と日本語で書いてある)。

 また実は!司会、通訳、インタビューの3役以上の、この式典の最重要事項は「朝9時に終わること」でした。だって、9時には「ふぁあああああああああぁぁ・・・」というサイレンが夏の甲子園の開幕を告げるのですから、ウチの放送局だけでなく、別の公共放送局も生中継するのですから、絶対の中の絶対です。甲子園は私の勤める会社の一番のコンテンツ、そして、高野連のみなさんは、大事な大事な、、、なんというか、大事な方々なのです。

 当日、何が起こったか…もう予想できますよね?そう、アメリカ人のおじさまが全然違う答えをしたんです、いや、しやがったんです。甲子園のマウンドにいるという魔物…この日は、陽気で無邪気なアメリカンな魔物でした。。。
夏の太陽が作る、私のスカートと足の影は、風もないのにフルフル…と震えています。わりと前向きな私もさすがにキャパオーバー、こう思いました。「この何万人もの人の前で無様な姿をさらすんだ、私のアナウンサーキャリアは、愛する夏の甲子園で終わる・・・うう。」

 しかしその時、気づきました。「あれ、このおじさま、きのうよりめっちゃいいこといってるな」と。

360度、たくさんの観客に囲まれる状況にも、全く緊張せず、この甲子園の観客の前に立った感動をそのまま口にしていました。高校生の野球がこんなに観客を熱狂させるとはおもってなかったんだろうな、アメリカに甲子園はないのだから。Study hard, play hard・・とダブルの韻まで踏んでいるやん・・・これは、伝えたいなあ、、、というシンプルな気持ちがわきました。おかげで、瞬時に我に帰り「勉強に励み、野球に励み…」(だったかな?)などと何とか韻も踏みつつ、勤めを終えました。
 式典を終えて、1塁ベンチ方向に戻り、私が白線をまたいだ瞬間「ふぁああああああ・・・・」とサイレンが鳴りました。
 実は私は、魔物と戦うのに必死で、最大ミッション「9時に終わらせる」ことをマウンドに置き忘れてしまったのです。いまだにわからないんです、あれは本当に間に合っていたのだろうか、じつはサイレンを鳴らすのを遅らせてくれたのか、神様のご褒美だったのだろうか、、、いつか「探偵ナイトスクープ」に依頼を出そうかな?

ちなみに、その後、高野連の方に「全然違うこと言うから、もう、人生終わったと思いました・・・」といったら、「え、そう?わからなかった」といわれました。前日の打ち合わせは一体・・・。

この時13だったウィルソン家の女の子が、この時のことを2014年にネットに書いているの、いま見つけました。
Japanese Baseball Began On My Family’s Farm In Maine : Parallels : NPR

 


 

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