年始に姉がFacebookにあげていた「家族でのドンジャラ大会の様子」。ここで注目してほしいのは、私の母の鋭い眼光。姉によると、曾孫がアドバイスを求めると、「麻雀ならわかるが、ドンジャラならわからない」と断ったそうです。確かに、母の視線は、ドンジャラの牌でなく、迷っている曾孫(姉の孫)の様子を観察しているよう・・・。
これをみて、時が半世紀ほど戻って…姉と私が小学生の時、鳥木家年末恒例花札大会の様子が思い浮かびました。毎年、毎年母が私の札をのぞき見し、私が負けて、「ずるいー」と泣く、そこで大会が終了となる、というパターンだったと記憶しています。何で、ズルするかな、とおもってたのですが、もしかしたら、そののぞき見の視線は、この写真にあるような視線だったのかもなあ、、、言葉にするなら、「さ、どうするの?」と子どもがどう次の手を打つかを見定める視線。
以前、父と母がゴルフの練習場を営んでいた頃、私たち姉妹や孫が帰省すると、開店準備を手伝っていました。ある朝、妹と私は、お客さんがうったゴルフボールを集めていました。終わってから、母は二人のパフォーマンスについてこう言いました。妹は「要領は悪いが、黙々と仕事をこなす」、私は「色々人にモノをいうが、結果、効率よくボールが集まる」。 また別の日の朝、母は、当時小学3年生くらいの私の息子に、打席の灰皿をあつめてこいと指示しました。そしてその後「うん、あの子は、行きがけの駄賃を体で理解している」といいました。指示されたこと以外、ごみが落ちてたら拾う、などもやるかどうかを見ていたらしいです・・・。
私は常々思うんです、母は超独特のセンスをもっているな、と。でも、それはどこで行かされるべきだったのか、これまでわからなかったんですが、このように過去を振り返ってみると、こういう可能性が浮かび上がります。
野球選手の妻になっていたら、球界を変えていたかも・・・。